2014年03月09日
パッチ 7th Fighter Squadron
こんにちは!Luke GETSNOです。
少し間が空いてしまいましたが、今日は前回に引き続き49FWつながりで、第7戦闘飛行隊(7th Fighter Squadron)のパッチを紹介します。
7FSのルーツは1941年に発足した第7追跡飛行隊(7th Pursuit Squadron)にあります。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と幾多の実戦を経験して、1977年に現在のホームベースのニューメキシコ州ホロマン空軍基地でF-15Aを装備する飛行隊となり、その運用は1992年まで15年間続きました。
そして1992年になるとF-15Aを退役させて、それまでトップシークレット扱いでも運用されていたステルス戦闘機F-117を装備する飛行隊として新たなスタートを切りました。
1999年にはF-117以外にT-38高等練習機も装備しF-117の乗員を養成する飛行隊として新しく編成されることとなり、部隊の名前も第7戦闘訓練飛行隊(7th Combat Training Squadron)と変更になりました。
2006年にはF-117が空軍から退役することとなり、7FSもそれまで65年間途切れることなく続いた飛行隊の歴史に幕を閉じることとなりました。ですが、それもつかの間、2008年にはF-22ラプター戦闘機を受領し新しい任務につきます。
F-22を装備する飛行隊として、7FSは2010年には沖縄県嘉手納基地に展開した経歴もあり、その年の8月に行われた東京都横田基地のフレンドシップ・デイには2機が嘉手納基地より飛来して地上展示されました。
上の画像にある7FS嘉手納基地記念パッチにある"Back in the Pacific"のフレーズは飛行隊が1941年に太平洋戦線へ導入された経歴と、それから1957年までの16年間、嘉手納や厚木、三沢、板付など日本の基地をはじめとした「太平洋地域に再び戻ってきた」と言う意味です。
F-22を装備してホームベースのホロマン空軍基地のみならず、太平洋地域を含む各地で精力的にミッションをこなしていた7FSですが、2012年に決定された空軍の方針で傘下のF-22をフロリダ州のティンダル空軍基地に移転することになりました。その代わりに、F-35の配備で溢れたアリゾナ州ルーク空軍基地のF-16を受領し、F-16パイロットの養成飛行隊となる事が明らかになりました。ですが、昨今の財政削減やF-35の開発計画の遅れなどの影響もあり、このプランも順風満帆に進んでいる訳ではなく、この先も7FSの動きが気になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
少し間が空いてしまいましたが、今日は前回に引き続き49FWつながりで、第7戦闘飛行隊(7th Fighter Squadron)のパッチを紹介します。
7FSのルーツは1941年に発足した第7追跡飛行隊(7th Pursuit Squadron)にあります。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と幾多の実戦を経験して、1977年に現在のホームベースのニューメキシコ州ホロマン空軍基地でF-15Aを装備する飛行隊となり、その運用は1992年まで15年間続きました。
そして1992年になるとF-15Aを退役させて、それまでトップシークレット扱いでも運用されていたステルス戦闘機F-117を装備する飛行隊として新たなスタートを切りました。
1999年にはF-117以外にT-38高等練習機も装備しF-117の乗員を養成する飛行隊として新しく編成されることとなり、部隊の名前も第7戦闘訓練飛行隊(7th Combat Training Squadron)と変更になりました。
右上:7th Combat Training Squadron飛行隊パッチ
右下:7th Fighter Squadron ステルスドライバー
左:7thFS ヘリテージパッチ
2006年にはF-117が空軍から退役することとなり、7FSもそれまで65年間途切れることなく続いた飛行隊の歴史に幕を閉じることとなりました。ですが、それもつかの間、2008年にはF-22ラプター戦闘機を受領し新しい任務につきます。
上:7FS シニアパイロット・ネームタグ
下:7FS 2010年嘉手納基地展開記念パッチ
F-22を装備する飛行隊として、7FSは2010年には沖縄県嘉手納基地に展開した経歴もあり、その年の8月に行われた東京都横田基地のフレンドシップ・デイには2機が嘉手納基地より飛来して地上展示されました。
上の画像にある7FS嘉手納基地記念パッチにある"Back in the Pacific"のフレーズは飛行隊が1941年に太平洋戦線へ導入された経歴と、それから1957年までの16年間、嘉手納や厚木、三沢、板付など日本の基地をはじめとした「太平洋地域に再び戻ってきた」と言う意味です。
F-22を装備してホームベースのホロマン空軍基地のみならず、太平洋地域を含む各地で精力的にミッションをこなしていた7FSですが、2012年に決定された空軍の方針で傘下のF-22をフロリダ州のティンダル空軍基地に移転することになりました。その代わりに、F-35の配備で溢れたアリゾナ州ルーク空軍基地のF-16を受領し、F-16パイロットの養成飛行隊となる事が明らかになりました。ですが、昨今の財政削減やF-35の開発計画の遅れなどの影響もあり、このプランも順風満帆に進んでいる訳ではなく、この先も7FSの動きが気になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
Posted by Luke GETSNO at 20:55│Comments(0)
│戦闘飛行隊